2024年になって、
ようやく初めての投稿です。
2024.01.01
能登半島で大きな地震がありました。
ちょうど実家石川県能美市に向っていた途中で、
到着15分前くらいでした。
愛車の軽トラを運転していると、
スマフォからけたたましい音量で警告音が流れ、
すぐに車が揺さぶられました。
目の前の電線は大きく揺さぶられ、
横の田んぼの水は、大きく波打ち、
地震の震源地は、加賀地方!
と思い、収まってから急いで実家に帰ると。
庭の石灯籠が倒れ、
母親と姪っ子、近所の人が家の前。
姪っ子の車に倒れ掛かるようにしていた石灯籠を移動して、
何度も襲う余震を瓦の落ちてこない外で待機し、
ラジオで情報収集。
実家は、加賀地方(石川県の南の方、能登からは遠い)で、
海岸からも数キロあるので津波の心配はないかと思いましたが、
妹が心配して、山の方に避難した方が良いと。
近くに、小学生の頃に開発された丘の上の住宅地があり、
大きな病院もあるので、そこに移動しました。
なあ、こんな地域だから、避難している人はあまりいない、
と思ったのですが、
すでに病院の駐車場は満車の様子。
少し先の体育館の駐車場に止めると、
ぞくぞくと車が集まってきます。
一時は道路も路上駐車の車であふれ、
トイレを借りに行った病院の前は、
渋滞状態。
姪っ子の車の中で3人でしばらく過ごしていました。
何度も来る余震。間隔がすごく短い。
ネットで地震情報を見ていると、
能登の方は震度5以上が10分間隔で起きている様子。
それでも、夜7時過ぎには自宅に帰りました。
幸いなことに、
建物の被害もほとんどなく、
停電も断水もなく、
見た目は平穏無事なお正月。
でも、
それから3日は、
普段着で3人並んで寝て、
夜の非難も考えて、お酒も飲まず、
唯一テレビのある居間も倒壊の恐れがあるので
ほとんど行けず。
ラジオとネットと新聞が情報源。
能登の悲惨な状況に正月気分ゼロです。
3ヶ日を実家で過ごした後、
信州四賀に帰りましたが、
そこからは、現場一筋。
ようやく目途がついて、
ブログで簡単に記録残しています。
今でも能登の情報が流れています。
本当にひどい状況だと思います。
私に出来ることは、
募金くらいですが、
ささやかですがやっていきたいと思っています。
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