「信州に暮らす」と一致するもの
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契約の際にMさまにもお渡しした「寿一番星」
信州に暮らす ~本日建前初日~ 2014.12.05
本日、建前初日を迎えました。
後ほどゆっくりとご紹介させていただきます。
社長紹介
代表取締役:斉藤一徳
石川県出身。富山県魚津市で会社員の後、
結婚を機に平成5年「斉藤建築」に入社。
平成20年6月に社長就任。
愛用の軽トラには、いつも大工道具を満載にして、
いつでもお客様のアフターサービスに応えられるように
しています。
ここから先は、ちょっと長いストーリーです。時間のある方は、どうぞ、ごゆっくり。
誕生から中学時代
・誕生
昭和37年12月26日 石川県小松市で生まれました。
翌年の1月は「38(さんぱち)豪雪」で、父親は暖房用の灯油を手に入れるのに、
大変苦労したそうです。
・保育園まで
とにかく身体が弱くて、よく病気になったそうです。
大きくなって聞いた言葉は「育つかどうか、心配だった」
・小学校時代
片道40分を毎日歩いて通いました。
真夏の暑さ、真冬の寒さ、よく歩きとおしたものだと、自分でも感心しています。
おかげで身体もだいぶ丈夫になったようです。
・中学校時代
小学校よりも距離は遠くなりましたが、自転車通学に変わり、
時間は10数分に短縮してだいぶ楽になりました。
しかし、入った剣道部は地域でもかなり強くて、
おまけに小さな身体では練習について行くのが精一杯。
冬場の練習は素足で冷たいし、面や小手の防具は汗で臭いし、
あまり良い思い出はありません。
それでも、3年生の時に、合宿で「初段」を取れた時は嬉しかったです。
高校時代
・一応、地域の進学校に合格。
今度は自転車で30分の通学です。
入学早々の試験と、山ほどの参考書と問題集。3年間続きました。
・面と小手の臭さに耐えかねて
同じ武道でも「弓道部」に入部。
心配した先輩後輩の関係も厳しくはなくて、同期の仲間も仲が良くて、
部活動の3年間はすごく楽しかった思い出があります。(勉強は厳しかった!)
それでも、3年生の時に「弓道2段」にも合格。
合わせて「武道3段」です!(「らしくない」とよく言われます)
大学時代
・地元金沢の金沢大学に入学
専攻は「工学部 化学工学科」(現在は「物質化学工学科」)
よく「化学工学って、何するの?」と聞かれます。
簡単に言うと、化学工場のプラントや工場全体の設計をするための学問です。
まあ、今の「家を創る」ことと、近いような・・・。
・全国を走り回った、サイクリング
クラブはサイクリングに入部。
テントと寝袋を持って、全国各地を走り回っていました。
その当時、長野県にも良く走りに来ていましたが、
夏の高原の涼しい風を身体いっぱいに受けて、思い切り坂を下った先が
松本駅前。下界のムッとした暑い空気に、がっくりした記憶があります。
まさか、その信州に暮らすようになるとは。
・生活力
下宿での自炊生活。金欠病の時のお弁当作り。
サイクリングでのキャンプ生活で、しっかりひとりで暮らせる自信と
技術が身に付きました。
サラリーマン時代
・富山県魚津市
「日本カーバイド工業」に入社。
研究所での新製品開発や工場現場での生産管理、新しいプラントの立ち上げと、
忙しく苦しい中でも、充実した社会人生活を送りました。
2年間ほど神奈川県茅ヶ崎市の研究所に勤務しましたが、
やっぱり、魚津のおっちゃん、おばちゃんに囲まれての毎日のほうが良かった。
・美味しい魚とお酒
魚津の恐そうに見えて優しいおっちゃんたちと、美味しい魚とお酒でワイワイ、ガヤガヤ。
楽しく過ごせたのが一番の思い出です。
魚は本当に美味しかった。今考えると、生まれて今までの間で、
一番贅沢な食生活だったかもしれません。
・「華道家元 池坊」
会社の華道クラブになぜか入部。当然男性は私一人です。
でも、まわりは、「ちょっと昔のお嬢さん」ですが、素敵な方々ばかりでした。
なんで「生け花」?
きっと、剣道、弓道、今習っている書道。日本の文化が性に合っているのでしょう。
最近、また、「池坊」したくなりました。
・遠距離恋愛
富山県魚津市と、長野県四賀村。
当時流行っていた「遠距離恋愛」
「シンデレラエクスプレス」のJR CMが良く流れていました。
結婚が決まって、職場を去る時、一番怖いと思っていた現場の方から、
「お前のおかげで、現場がすごく良くなった。これからも期待していたのに、残念だ」
と言われたのが、一番嬉しかった。
皇太子と皇太子妃雅子さまの婚儀と時を同じくして、
信州四賀に、やってきました。
斉藤建築:修行編
・平成5年8月入社
今までとは全く違った土地で、まったく違った職業。
まわりの人たちの感覚も、考え方も、「全然違う」と思うくらい違う環境でのスタート。
それでも、現場の職人さんたちは、良い人ばかりで、
大工仕事などまったく知らない私を、しっかり指導してくれて、
毎日毎日、それこそ一生懸命でした。
・最低気温氷点下10℃
今でも覚えています。入社した年の冬。
大工さんと一緒に仕事をした現場は、寒い信州四賀の中でも、
日中日射しがほとんど当たらない川沿い。
最低気温は氷点下10度。最高気温でも、高くて2,3℃。
北陸育ち(冬の最低気温が一番低くてもマイナス1℃)には、
信じられないくらいの寒さです。
そんななか、慣れないの鋸(のこぎり)や玄翁(かなづち)を持って、
凍える手で毎日大工仕事をしていました。
・最高気温33℃
1年後の夏。その年の信州は、炎天下が毎日続いていました。
連日32℃、33℃と、信州とは思えない気温です。
炎天下の作業が1週間続き、さすがに熱中症にかかってしまいました。
仕事を終えて家に帰ると、体温は37℃以上に発熱。
翌朝には熱は下がっていましたが、夜にはまた発熱。
こんな生活が1週間続いて、そのうち身体も慣れてきたのかな?
その年以来、信州の夏は、「暑い」夏が続いています。
・大工の技術
一番難しいのが、「墨付け(構造の材料に建てるための印をつける作業)」と
「和室の造作(和室の材料を加工して、実際に部屋に取り付ける作業)」です。
大工の仕事は、主に小山棟梁に教えていただきましたが、
一から十まで手取り足取りなんて、絶対ありません。
職人の世界ですから、「見て覚える」が基本でした。厳しいです!
数年たって、「今度の現場で和室やらせるからな」と言われ、
家に帰って、何度も練習したものです。ところが、なかなかやらせてもらえません。
そうこうしているうちに、数現場が進んで・・・。突然、
「ここの和室の廻り縁(天井の廻りについている木)をやれ!」
そんなこともあろうかと、練習は欠かさずやっていたので、完璧ではなかったですが、
なんとか無事に仕上げられました。棟梁に感謝!
・10数年の修行
平成5年の大工修行から、十数年。
大体の大工仕事は一人で出来るようになり、
「棟梁」とは呼べなくても、仕事の段取りもこなせるようになりました。
今から思うと、厳しい仕事でしたが、充実していたと思います。
おかげで、新しい内容の仕事でも、今までの経験、技術の応用でカバーできます。
見積もりをするにも、だいたいの作業手順とかかる費用が計算できます。
本当に良い修行をさせていただいたと思います。
・熟成
ひと通りの大工仕事。
アフターサービスに回り始めてから身に付けた
簡単な水道工事、建具調整、電気工事、メンテナンス。
一軒の家にかかわる仕事のほとんどの仕事の急所を学ぶことが出来ました。
それと一緒に、共に仕事をする人たちとのコミュニケーションもでき、
自分でもちょっと変わってきたかな、言う感じがします。
大工と、仕事と、人生の熟成? まだ、未熟ですが。
・取得資格
16年間で、いろいろな資格を取りました。
仕事に必要で取りましたが、試験勉強することで実際の仕事にも、
すごく役に立っていると思います。
2級建築士 :平成9年 長野 第12047号
1級建築施工管理士 :平成13年 B006300831
1級土木施工管理士 :平成15年 C021007374
宅地建物取引主任者 :平成8年 長野 第006977号
ちなみに、サラリーマン時代に取った資格は、
公害防止管理者水質1種 :平成3年 第64655号
公害防止管理者大気1種 :平成4年 第40001号
斉藤建築:社長編
・平成20年6月代表取締役就任
現在の会長が、30年間手塩にかけて育ててきた、「斉藤建築」を引き継ぎました。
とは言っても、本当にまだまだ未熟。
現場の作業や、仕事の段取り。お客様と話を進めたり、営業もします。
少しづつではありますが、会社の代表としての仕事もしています。
・「動く社長」
事務所で机の前に座っている社長ではなく、
現場で仕事をしたり、段取りしたり、打ち合わせをしたり。
お客様のところで、自分でアフターサービスをして、
お客様のご希望に耳を傾け、提案する。
そんな、いつも動き回っている社長を目指しています。
・「目標」
社長として、「さいとうけんちく」をどうやって盛りたててゆくか。
一番大切なことは、「お客様の気持ちを大切にする」事だと思っています。
どうやって?
お客様がリフォームしたり、新築するには、「目的」があります。
「キッチンをきれいにして、家族で楽しく過ごしたい!」
「お風呂を新しくして、一日の終わりをリラックスしたい!」
「子供たちと一緒に、あかるく元気に暮らしたい!」
皆さん、家をきれいにすることが目的じゃなくて、
「〇〇がしたい!」が目的で、「きれいにする」は手段です。
私の目標は、そんなお客様の「〇〇したい!」を実現するために、
お客様とお話しするなかで言葉で表わせない要望をつかみ取って、
建築という仕事で、お客様の要望を実現することです。
・大工の技術
しっかりした家を建てることも、大切な技術です。
それと一緒に、お客様の思っていることを「感じ取る」技術も、
本当はすごく大切な「大工の技術」だと思っています。
どちらの技術も、これからも、ますます、磨きをかけ続けます。
家族
・私の家族
女房:斉藤真由美-「さいとうけんちく」の主任設計士。1級建築士で4人の男の子の母親。
子供たち -社会人3年目の長男から大2の4男。
じいちゃん:会長-女房の父親で、斉藤建築の創業者。
ばあちゃん:経理 -女房の母親で、斉藤建築の経理担当。
長々と、お付き合いいただきまして、ありがとうございました。
もう少し、増やそうかなあ?! とも思っていますので、
たまには、ご覧ください。